たんぽぽ保育園問題の特異性


 「たんぽぽ保育園」(たまちこども園)は、元は津軽保健生協健生病院の院内保育所。70年代に病院で働く看護婦や女性職員の運動で生まれました。

 健生病院の前身は、1969年衆議院選で初の東北選出共産党代議士となった津川武一が開設した無産者診療所。それが民衆の力によって発展、1952年に津軽保健生協ができました。たんぽぽ保育園は、2001年に津軽保健生協から分離・独立、社会福祉法人になりました。
 
 「たんぽぽ保育園問題」の特異性は、陰湿なパワハラで退職・解雇を推し進める園側と不当解雇撤回支援側との主力がともに元津軽保健生協職員であること。
 
 パワハラ側の園長、前理事長、現理事長、主任保育士は、元津軽保健生協職員。現理事にも津軽保健生協幹部がいます。不当解雇撤回支援者には、元たんぽぽ保育園保育士やたんぽぽ保育園を卒園した子どもの保護者、津軽保健生協の元職員や元看護師、健生病院の医師もいます。
 地裁で顔見知りの双方が顔を合わせることもあります。大抵は、園側元職員が顔を背けて通り過ぎます。前代未聞の不当解雇と闘いです。